第21回「日本語の文字と組版を考える会を振り返る」に20分遅刻して参加のメモ書き。
遅刻したため最前列正面の特等席に座らせていただきました(^^;A
これって凄~くツキがあるってことですよね~!
前半は90年代からの流れの紹介
90年代は新旧混合した時代(旧いものが壊れ、新しいものが産まれた)
92年に日本初のHomePageができる→インターネットの普及
94年にスピーカーの前田氏HomePage作成
95年に小宮山博史+府川充男+日下潤一で「印刷研究会」が立ち上がる
96年4月に「日本語の文字と組版を考える会」が発足
2000年にHTMLが整備され、97~2000年にW3Cが整備された
2000年にblog、2005年にYouTube、2006年にTwitter、ニコ動
1990年代から同じ問題を繰り返してきた
(組版の崩壊、派遣による技術の空洞化、事故続発etc)
1996-1999に「日本語の文字と組版を考える会」の公開セミナー一覧が配られたのですが、魅力的なセミナーがいっぱい^^ 一度も参加できなかったことが今更ながら悔やまれます。思い起こせばDTPが熱く、面白い時代でもあったわけです。個人的にはDTP関係の掲示板に随分お世話になりました。
印象に残った発言
魅力のないものは流行らない。雑誌が滅びるのは面白くないから。
カタログを綴じたパソコン雑誌はすぐに終わった。恐怖感を煽って奴隷にするような雑誌は滅んで当然。
『クズが世界を豊かにする』は名著。
慣れとなじみで定着していく。
ケータイで見ている人の方が多い。
フジテレビを見る人は貧乏人(←どういう話しの流れで出てきたか失念)。
後半はロジック中心
正しい組版は一概に言えない。一行の文字数の少ない新聞組版を書籍、雑誌組版を同じルールにできない。
正しいか間違っているかではなくて、どう使っているか。文字はコミニケーションの中で生きている。記述的な観点。
ちなみに話しの中でよく出てきた「規範的」「記述的」は文法学のアプローチ手法。
ルビの1:2:2:1のルビロジックを中心に行われる。
ルビのロジック←長年の習慣をロジックした。
「ひらがな」に「ひらがな」のルビはない→ゆえに「漢字」のルビが「ひらがな」部分にはみ出してもOK。
親文字間を開かないが基本ルールだった→例:京都(きょうと)のルビ。
規範がどうこうではなく一貫したものが作れるかどうか。
30字に対して1字の変動は段落の中で目がなじむ(気にならない)。
44字詰めの場合は、42.5-44.5字。開くほうが目に引っかかる方が少ない。
組版の変化は緩慢。組み方向は変わらない分野。
約物(括弧等)は対になっている。約物幅の前後のアキも対。
InDesignは文字組み設定の種類が多い。どういじってどう直してよいか分からない場合がある→ロジックを立てることで解決。道具が成熟していないからプロとしての組版が成り立つ。
で、懇親会に出席してこの辺の意見を訊きたかったのですが、教会月報の印刷&二つ折り製本作業が残ってまして泣く泣く後にしました。
大阪から来られたworks014さん、エムさんとゆっくり話したかったなぁ~(残念!)
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