2010年4月4日日曜日

リストラとその後――自分の場合

アチコチのblogでリストラの話題が出てますので、先にリストラに遭いました自分からのアドバイスと経緯。

今から6年ほど前、取引先(製版会社)から30%のコストダウンを告げられまして、アチキの勤めていた20人ほどの制作会社でもリストラが始まりました。40過ぎの5人が対象です。

個別に呼び出され「今月から請負としてやっていただく」との説明と一緒に青色申告の手引きが渡されました。小さな会社でしたので割増退職金などありません。社員が独立したとの前提に立ち、告知を受けた時には年金、保険は外されておりました。まぁ、その前の1年間は仕事がヒマでさすがに(やばいなぁ~)と感じてましたので、ついに来るべきものが来たかの感じでしたね。提示された条件は年俸制で当時の年収の約30%ダウンでしたから会社としても精一杯の誠意が感じられるものでした。ですから当時、在籍していた会社に対しての恨みつらみはありません。むしろヒマな一年間をよく社員を養ってくれたなぁ~と感謝してます。

で、その会社にしばらくいてから辞めたわけなのですが、辞めた理由を列挙させていただきます。

最大の理由が親友の死でした。
不幸は手をつないでやってくると言いますが、まさにその通り。リストラを告げられた1ヶ月前に高校時代からの親友がすい臓がんで余命半年との知らされ、リストラ告知の1ヶ月後に天に召されました。
売れないイラストレーターでした。40過ぎてもイラストだけでは生計が立てられず、親からの仕送りを受けたりもしてました。こちらもうだつの上がらないDTPオペレータでしたが、いつか一緒に仕事をしような、本を出そうな、などと夢を語り合っていました。
あいつが亡くなったことで(オレ、何のために仕事をしてるのかなぁ~?)などとの疑問が湧き、まぁ家族のことを考えれば踏みとどまるべきだったのかも知れませんが、我儘放題の妻を見るとそんな気にもなれず。。。

次なる理由が、取引先のやる気のなさ。
なんでこんなやつらのためにコッチが大変な思いをせねばならんのかという怒りですね。←これが爆発の引き金だったww

あとは5年も同じ仕事をしているというマンネリと、いつまでも続くOS9環境に嫌気が差したというところです。そんなこんなで告知後、3ヶ月で辞めました。

失業保険を受けてしばらくボーっとしていたのですが、妻のギスギスした態度に耐え切れず再就職活動。はい、全滅でした。仕方なく派遣登録。
登録した派遣会社が短期案件しか紹介してくれないため半年過ぎた頃に別の派遣会社に登録。
長期案件で2年ほどいたのですが、5年も派遣でいる人がいました。
派遣は社員になれない(所詮、派遣はよそ者なのさ)。
1年目の年収より2年目の年収の方が下がっている――頑張って効率を上げれば収入が下がるというジレンマ。

鬱の復活です。鬱から逃れるために環境を変え、別な派遣会社に登録。
しばらくは良くなったもののすぐに復活。

理由は分かってます。大手印刷会社の下請け仕事のため全体を見ることができず、単調な赤字修正と出力の日々。環境もOS9がメインでした。
鬱状態で仕事をするものではありませんね。でかい失敗をやらかしました。逃げるようにして去り、警備の仕事についてます。

で、リストラの先輩としてのアドバイスとしてはたったひとつです。
仕事が面白ければ給料ダウンしても続けてください。ダウンしたとしても警備の給料よりはいいはずです。
仕事がつまらなければ辞めてください。いずれ大きな失敗をして周りに迷惑をかけます。
DTP制作という仕事はホント面白かったのですが、流れ作業の一端を担うだけの仕事は苦痛以外の何者でもありませんでした。
業界復帰を目指しつつ諦めてますが、流れ作業の一端を担うだけの仕事と派遣だけはやらないと決めています。

印刷物を作るという仕事はホント面白いです。しかし、分業制と派遣というシステムがダメにしているのではないかと思っています。

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